~ 大井川とは ~

●大井川(おおいがわ)は、静岡県を流れる河川。一級水系大井川の本流
●南アルプス南部、静岡県・長野県・山梨県の県境付近にある間ノ岳に源を発し、

 赤石山脈・白根山脈の間を南下。静岡県焼津市大井川と榛原郡吉田町の境界から駿河湾に注ぐ。

 

水系    一級水系 大井川
種別    一級河川
延長    168 km
平均流量    30.9 m³/s
(神座観測所1991年 - 2003年(平均・平水))
流域面積    1,280 km²

水源    間ノ岳(静岡県)

水源の標高    3,189 m

河口・合流先    駿河湾(静岡県)
流域    日本 静岡県

​Wikipedia 「大井川」より

~ ​大井川と私たち ~

 

島田市で生まれ育った私は、とにかく外で遊ぶ事が好きな子供でした。

物心ついた頃から、父親に連れられて夏になれば、大井川へ鮎釣りに行ってました。

河原の雑木林には、カブト虫やクワガタを取りに行ったり…

自転車であちこち行けるような年齢になる頃には、夏休みは自転車で行ける所まで川沿いに登って行き、釣りしたり泳いだり。

大井川と共に育ってきました。あの頃より近年はまた水量が減り、なんだか寂しい気持ちになりながら、橋を渡るたびに河原を眺めてみたりしてます。

もう、これ以上、痩せ細っていく姿は見たくないし、ここに住む皆んなが、未来永劫苦しんだり、辛い思いをしなくてはいけないなんて事になるのは、それこそ辛いなと思います。(静岡県 掛川市在住)

何といっても渓流釣り!

あの大井川上流の美しさ。

あれほどの美しい自然はなかなかないです。

そこで糸を垂れ自然と対話する。

まさに命の洗濯です。(静岡県 静岡市在住)

私の知人に、実家が川根本町で茶農家をやっている方がいます。彼女は言いました。「良いお茶は、大井川の川霧を浴びて育つんだよ」と。

川根茶と言えば高級ブランドですが、やはり後継者不足などで苦労しているようです。彼女のお父さんは、馴染みのお客さんに直売して売り上げを守っているようです。

彼女は仕事を持っていますが、川根と川根茶を盛り上げるために、色々とイベントを企画したりしています(私はあまり力になれず、申し訳なく思っています)。

大井川の川霧が立たなくなるどころか渇水してしまったら、彼女の愛する川根と川根茶はどうなってしまうんだろうと心配です。先人の守って来た川根茶を守るためにも、大井川を守っていかねば、と思います。

ちなみに私は藤枝在住3年目に突入しようとしています。私も大井川の水が無かったら生きていけない62万人の中の1人です。南アルプスに穴を開けるなんて冗談じゃない、としか言えません。(静岡県 藤枝市在住)

うちの町、住宅地の中に湧水があります。

川尻のJAの駐車場の中。

今日は雨だから人が少なかったけど、いつもは水を汲みに来る人が結構います。

美味しい水。

これも大井川の恵。

全長168kmの大井川の最下流部の町です。

地面の下どうなっているんだろうと考える。

小学生の理科のレベルの頭で。

ここから海はすぐです。

たっぷりの水があるから、塩水化することもなく常に湧いているわけですよね。

とても豊かなことだと思う。

水は高い方から低い方に流れます。

でも、湧水って逆じゃないですか。

地下に溜まった水が水圧で、その地下のスペースから溢れてくるってことですよね?

それは常に地下に流れ込む水があるからこそよね?

大井川の源流にも行ったことがあるんです。

水は高い方から低い方に流れます。

なのになんで、山の頂上からゴーゴー噴き出すように湧いて出てるんだ!?

湧水という言葉のイメージを覆されるような水の量でした。

南アルプスの土の中に、水の通り道があって、いろんな条件の元、そこから噴き出しているのでしょう。

その下にトンネルを掘ると言ってるんですよ。

トンネルが水で一杯になるのでは?

ってまず思います。

そうなったら、水の通り道はきっと変わってしまいますよね。

やってみなければわからないみたいなことは、絶対に

やめて欲しいと思います。

(静岡県 榛原郡在住)

伏流水と呼ばれています。大井川の源流・上流部は多くのダムに貯水されて導水管により運ばれるため、表流水はわずかです。

それでも大井川には伏流水があります。友人の調査によると、山々の尾根筋にも流れているそうです。

これらで大井川水系は保たれているようです。川の生態系を寸断しますと、予測不能な状況が想定されます。

もし富士山に穴をあけますと、柿田川の湧水はどうなるのでしょう?(静岡県 榛原郡在住)

釣りでお世話になってます

上流で貴重なヤマト岩魚が釣れました

一生の思い出です

(静岡県 焼津市在住)

~ 大井川用水とは ~

 

●水のない水田に困った

昭和20年(1945年)、終戦前後の日本は、今では想像できないほどの食糧不足に苦しんでいました。それを解決するには、まず、米を育てるために必要な水を水田に運ぶ「かんがい用水路」の改善が必要だったのです。

 

ところがこれらの水門は江戸時代に作られたものがほとんどでした。そのため、構造が旧式で、ふだんでも十分な水が取れなかったのです。 ましてや水の少ないかっ水期には取水することなどほとんどできず、農家の人たちが全員で力を合わせて、大井川の本流まで川床を堀り割り、水門口まで水を引くという方法をとっていました。しかし、大雨になると堀り割りはたちまち埋もれてしまい、せっかくの苦労も水のあわでした。

年に何回も大雨に合うため、農家の人たちの苦労はなみたいていのことではなかったのです。 また、それぞれの水門とつながる用水路も不完全で、下流まで水が届かなかったのです。水あらそいが絶え間なく起こり、市町村では、供出米の割当に苦心していました。当時、供出米は政府の至上命令だったため、市町村としてはきびしい割当を農家に強制せざるをえませんでした。
とりわけ、この地方の水田はザル田と言われるほど大量の水を必要とする水田です。米をたくさん生産するには、何よりもかんがい用水の確保が先決でした。

 

●用水事業のはじまり

昭和22年、この状況を何とか解決しようと、志太郡(しだぐん)・榛原郡(はいばらぐん)の町長や村長たちが立ち上がりました。取水の根本的な改良と、かんがい用水路を新しく作ることを国や県に呼びかけようと、大井川用水改良事業期成同盟会を結成し、続いて、大井川用水普通水利組合を設立しました。

国に対して、地元出身の県会議員の協力により何回も陳情(ちんじょう)したり、地元出身の国会議員を通して国会に要望するなど、さまざまな働きかけを行いました。こうした活動が実をむすび、この年、ついに国営かんぱい事業として決定されました。

最終的には、大井川から直接取水するのではなく、川口発電所放水口の下流口から取水する計画になり大井川、幹線づい道によって神座に分水工を構築し、ここに水を引くことになったのです。

そして新たに、昭和26年8月、大井川土地改良区が設立されました。以来、改良区は、事業の推進に当たり、国営附帯事業、県営かんぱい事業、団体営事業など、それぞれの事業を計画してきました。昭和43年、約20年の歳月と8億円にもおよぶ巨費を投じた、国営かんぱい事業はようやく終了しました。大井川流域に、35,000mの幹線の用水路が新しく開発されたのです。

●用水路を広げよう!!

この当時、瀬戸川(せとがわ)の下流地帯の水田では、用水を瀬戸川と葉梨川(はなしがわ)、朝比奈川(あさひながわ)などの表流水や湧水にたよっていました。ところが、川の上流部や沿線の開発によって表流水や湧水が不足しはじめ、年々深刻な問題になっていました。
藤枝・焼津の両市長は、この地域に何とか大井川用水を導入したいと、大井川土地改良区に申し出ていたのです。

県ではこの地域をくわしく調査し、その結果、昭和42年、県営かんぱい事業がスタートしました。そして、団体営事業、県単事業に受け継がれ、昭和47年に完成しています。

昭和25年に始まった大井川土地改良区管内の県営かんぱい事業は、藤枝・焼津の新地域も含めて、昭和47年についに完了しました。22年の歳月と32億円をかけた一大事業によって、なんと124キロメートルにもおよぶ用排水路が新設改良されたのでした。

●その後の大井川用水

上の図を見ていただくとわかるように、大井川には「右岸」と「左岸」があります。大井川用水整備はそれぞれの地区で行われましたが、事業後30年ほどが経つと施設の老朽化が問題になってきました。

また、東海地方に大きな地震が起こる恐れがあるということが発表され、それに備えるためにも、左岸地区では大工事が行われ、大井川用水は農業だけでなく、地域住民すべてにとって大切なものになっていきました。

さらに小水力発電機も設置されました。発電された電気は売電もされ、施設維持の負担の軽減にもつながっています。

●「右岸地域」では

一方「右岸」でも大工事が行われました。

大井川の右岸側へ農業用水や工業用水を運ぶ大井川水路橋は、島田市神座から横岡に位置し、菊川市・掛川市・御前崎市・袋井市へ用水を供給しています。
大きさは、延長732.3m、幅4.3mで、最大毎秒10.04m3の水を送水しています。
また用水の送水のみならず、橋の上部を歩行者は常時、乗用車は時間帯による片側交互通行の道路として通行できます。
水田に水を張ることにより地球温暖化緩和にも貢献し、水路やため池は地域用水として防火用水や癒しのスポットとして住民に親しまれており、農業者だけでなく住民にとっても大切な用水となっています。

 

●「大井川用水」による農業経営の発展

国営事業や県営事業等による用水の整備によって、農業生産額は大幅に増加しました。農業生産額は、全国の推移と同じく昭和60年をピークに減少しているものの、昭和35年と比べて、約3.4倍になっています。農業者からは「大井川用水のおかげで水不足を心配することなく営農ができる」、「大井川用水は冬場にも用水があるので計画的に野菜の栽培ができている」などの声が聞かれるようになりました。

●「牧之原台地」のお茶生産について

大井川平野と小笠地域を分ける牧之原台地は、明治以降の開拓により、茶の一大生産地として成長しました。これは、当時の茶が輸出品として重要な地位を占めていたこと、すでに大井川上流の中川根(なかかわね)、本川根(ほんかわね)などで茶栽培が行われ、数多くの問屋が存在していたこと、そして、何よりも、茶の栽培に適した温暖な気候と平坦な地形があったからにほかなりません。しかし、唯一、台地の宿命とも言うべき水の無さが、近代的な大茶園としての発展を妨げていました。

 

水の不足は茶葉の生育を悪化させ、収穫を減少させるばかりか、翌年から翌々年まで品質に影響します。また、茶栽培では年に10回を超える病虫害の防除が行われますが、これにも多くの水が必要となります。さらには、施肥(しひ)のための水、霜害・塩害防止に使う水など、栽培技術が進歩すればするほど、茶栽培における水の重要性は高まっていきました。しかし、台地の上には水源となる川がありません。「牧之原に水を」を合言葉に、茶農家の気持ちは、眼下でとうとうと流れる大井川の水へと向いていきます。

  国営牧之原農業水利事業が動き出したのは、昭和53年のことでした。この事業は、新たな水源を大井川上流の長島ダムに求め、島田市の川口取水工より導水路を経て、牧之原揚水場により台地へ水を引き上げるものです。工事は平成9年度に完了し、樹枝状に広がる80km余りの幹支線水路が台地の茶園地帯を潤すことになりました。

  現在の牧之原の茶園面積は約5,000ha。これは全国の10%、静岡県の23%にあたり、茶葉生産量においても群を抜いています。静岡県においても先進的かつ主要な茶生産地であり、県内生産量の約5割を占めるほどになりました。明治の開拓以来、約100年にして荒涼とした原野は日本一の大茶園へと変貌を遂げたのです。

「●水のない水田に困った」~「●大井川用水による農業経営の発展までは、

サイト「おおいがわようすい」と、

国営大井川用水農業水利事業 完工記念誌『いのちの水 大井川用水』」のサイトより

抜粋、また参考にさせていただきました。

 

​動画でも「いのちの水 大井川用水」の内容を見ることができます。

https://www.youtube.com/watch?v=YCNdHis-5yU

​「●『牧之原台地』のお茶生産について」は「関東農政局」のサイトから抜粋させていただきました。

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